ラファエル・ブラーガ事件まとめ

2016年11月に呼びかけられた国際連帯行動のための文章を翻訳しました。この前ぼ二つの投稿よりわかりやすいと思います。

ラファエルは若い黒人男性で、2013年6月まで、リオ・デ・ジャネイロの中心部の路上でリサイクル用の資源集めをして暮らしていました。いつもは野宿をして、ほんのたまに家族の住むヴィラ・クルゼイロに帰るだけでした。そうして交通費を浮かせていたのです。しかし6月20日にその生活は一変しました。
その日、バスの運賃値上げに反対する抗議行動が続く中、大規模なデモが行われました。そのデモの最終地点であるラパにて当時25歳のラファエルはたまに泊まっていた空き家についた際に逮捕されたのです。デモに参加していた訳でもなく、ブリーチ剤と殺菌剤の入ったプラスチック容器を2つ持っていただけでした。警察署では、警官らがフタの空いた二つの容器が布と共に置かれていました。ラファエルは火炎瓶作製に使用する目的で爆発物を所持していた罪で逮捕されたのです。5年と2ヶ月の刑期が言い渡されました。2015年12月1日、足首に追跡装置をつけられ仮釈放されました。ヴィラ・クルゼイロのカスカチーニャで家族と暮らしていた2016年1月12日、お母さんのアドリアーナさんに頼まれ朝食のパンを買いに出ると警官に呼び止められました。警官らはラファエルが麻薬の売人と関係していると言い話を聞きたいと言いました。警官らは薬物取引への関わりを認めなければラファエルをレイプあうるとまで言いました。警官らは0.6グラムの大麻と9.3グラムのコカイン、そして花火をラファエルの荷物に忍ばせました。こうして、1月よりラファエル・ブラーガは薬物取引、取引関与および取引協力の罪を着せられているわけです。

こにキャンペーンが特に取り上げたいのはラファエル・ブラーガの逮捕の裏にある思惑です。彼は2013年にデモに参加してさえいないのにに逮捕され服役しています。黒人で貧乏であるからこそ逮捕されたのです。活動家ではなかったため、支援の動きがなく、あっという間に裁判から懲役に移りました。服役後においても2013年や2014年に起こった活動家の逮捕の際に起きた抗議運動の規模に匹敵する動きに発展することはありませんでした。ラファエルは恣意的刑罰と構造的人種差別主義的なブラジルの司法制度の象徴です。

直近の逮捕事件がますますこの見方を強めます。軍事化された地域に住み、薬物取引の疑いをかけられたのです。警官がラファエルの荷物に忍ばせた麻薬のセットはファベーラで警察がよく使うものです。黒人に対する戦争が薬物に対する日戦争に偽装され、日々犠牲者を生み出しています。黒人を皆殺しにしながら大量拘禁を維持しているのです。

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